馬車道・日本大通り

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Bashamichi / Nihon-odori

港が開かれた場所から、まっすぐに延びる銀杏の並木。
大火のあとに生まれた燃えないための大通りと、異国の馬車が走った道。
震災に焼かれ、戦後は接収され、そのたびに建て直されてきた石の建物が、いまも同じ場所で働いています。
開港の街の表の顔を、港から歩きます。

港が開いた場所Where the Port Opened

開港の地象の鼻運上所日米和親条約

1854(安政元)年、ペリーの一行が横浜に上陸し、日米和親条約が結ばれます。その地は、いまの神奈川県庁から横浜開港資料館のあたりといわれます。開港資料館のとなりの開港広場には、条約調印の地を記念する碑が立っています(『中区史』)。

1859(安政6)年、港が開かれました。横浜村のほぼ中央、いまの県庁の場所に、貿易と外交を扱う運上所が置かれます。その東側が外国人の居留地、西側が日本人の商いの町になりました(『中区歴史年表』)。

開港とともに、この海辺は横浜で最初の本格的な波止場になりました(象の鼻テラス)。1867(慶応3)年、その防波堤は弓のように曲げられ、形が象の鼻に似ていたことから、いつしか「象の鼻」と呼ばれるようになりました(横浜市観光協会)。

開港から150年の2009年6月2日、この場所は「象の鼻パーク」として生まれ変わります。防波堤は明治の形に戻され、工事のあいだに見つかった明治の港の線路や転車台、石積みの護岸の跡も、そのまま残されました(横浜市港湾局)。

大火のあとの大通り 日本大通りNihon-odori

日本大通り豚屋火事ブラントン銀杏並木登録記念物

1866(慶応2)年10月、末広町の豚肉屋から出た火は、外国人居留地の大部分と、運上所、日本人の商家の多くを焼きました。人々は「豚屋火事」と呼びます。関内が初めて受けた大きな災いでした。

火は、開港とともに置かれた港崎町の遊郭にも及びました。逃げ場を失い、炎と、埋め立て中の堀の水のなかで命を落とした女性たちは、数百人にのぼったと伝えられています(『中区史』)。いま、その跡地は横浜公園になっています。

大火のあと、居留地と日本人の町のあいだには、燃え広がりを防ぐための広い通りがつくられることになりました。1868(明治元)年には、居留地との境の土地に「境町」が置かれ、防火のために壁を土や漆喰で厚く塗り込めた家でなければ、建てることが許されませんでした(横浜市中区)。

通りを設計したのは、イギリス公使パークスの求めで働いたイギリス人技師、ブラントンです。1871(明治4)年に設計され、1877(明治10)年までに完成しました。長さ約400メートル。幅12メートルの車道の両側に、3メートルの歩道と9メートルの植樹帯。あわせて幅36メートルの、当時としては破格の通りでした。砕いた石を突き固める舗装と、焼き物の管の下水道を組み合わせた道路のつくり方は、ここで日本で初めて採られたものです(文化庁)。1879(明治12)年、この通りは「日本大通」と名づけられました(横浜市中区)。

文化庁の解説は、この並木道に込められた意味をこう書いています。「象の鼻」と呼ばれた波止場から、横浜公園へと一直線に延びる道は、海から来た人を日本の国土へと迎え入れる象徴だった、と。

その突き当たりに、1876(明治9)年、横浜公園が開かれます。居留地の外国人と日本人がともに使える公園として、「彼我(ひが)公園」と呼ばれました。中央には芝生のクリケット場があったといいます(文化庁)。

日本大通りと横浜公園は、2007年、そろって国の登録記念物になりました。

馬車のための道 馬車道Bashamichi

馬車道馬車道 由来近代街路樹発祥の地アイスクリーム発祥ガス灯

開港のころの横浜に、馬車道はまだありませんでした。

豚屋火事のあと、幕府が諸外国と結んだ取り決めには、外国側の求めで、幅60フィート(約18メートル)の馬車のための道を整えることが盛り込まれていました。商いを盛んにし、居留地に住む人たちに運動や保養の場を与えるためです。つくられた三本の道のうち、二本目がいまの馬車道にあたります。完成したのは、早くとも1867(慶応3)年の秋以降と考えられています(馬車道商店街)。

道の一方の端は吉田橋。関内と関外を結ぶ、陸からの入口です。もう一方の端の近くには、対岸の神奈川宿へ渡る船着き場がありました。新しい道は、関内と外の世界をつなぐ通りになりました。吉田橋と、そこにあった関門の話は、吉田町のページでご紹介しています。

「日本で最初」の通りJapan’s Firsts

この道が開かれたとき、沿道の店は競って、店先に柳と松を植えました。1867年のことです。横浜市は、これを日本の近代街路樹の始まりとしています(横浜市道路局)。

幕末の写真師、下岡蓮杖は、この通りに写真館を構えました。

明治2(1869)年6月には、町田房造が馬車道(いまの常盤町5丁目)に氷水の店を開き、アイスクリームを売り出します。日本人によるアイスクリーム販売の第一号として知られる店です(馬車道商店街)。ただ、ときおり外国人が立ち寄るほかは、日本人は立って眺めるばかりで、商売はうまくいきませんでした。客がようやくついたのは、翌年、伊勢山皇大神宮の大祭のときだったといいます(『中区史』)。

1872(明治5)年10月には、ガス灯が灯ります。大江橋から馬車道、本町通りにかけて立てられた、日本で最初のガス灯でした(馬車道商店街)。手がけたのは、高島町一帯の埋め立てでも名を残す事業家、高島嘉右衛門です。アメリカやドイツの資本と競って免許を得ると、私財を投じて独力で仕上げました(横浜市西区)。

新しいものは、日本大通りのあたりでも生まれています。明治2(1869)年、いまの日本大通に横浜伝信局が置かれ、その年の暮れ、東京とのあいだに電信が通じました。日本の電信事業の始まりです。翌明治3年の暮れには、関内の北仲通で、日本で最初の日刊新聞が刷られました(『中区史』)。

ガス灯の下の商店街Meiji to Early Showa

明治の後半、馬車道の両側には70軒ほどの店が並んでいたといいます。港から来る外国人の客が、波止場から万国橋を渡って、まっすぐこの通りへ入ってくる。横浜一の高級な商店街として、鬼瓦をのせた黒塗りの二階建ての土蔵造りが、みごとに軒をそろえていました。

砂利道の両側には柳。夕方、物売りの声が聞こえはじめるころ、ガス局の人が竿を二本かついでやってきます。一本は先に鉤のついた竿、一本は火種。「ほの青いガス灯がつくと、夜のとばりがおり始める」。そう書き残した人がいます。馬車の鉄の輪からは火花が散り、夜店の並ぶ明治40年ごろまでは、柳の枝のあいだを、こうもりが飛び回っていたそうです(『中区史』に引かれた回想)。

1904(明治37)年、通りの角に、横浜正金銀行の本店が建ちました。貿易の決済と外国為替を専門に扱う銀行で、のちに世界三大為替銀行の一つに数えられます。設計は妻木頼黄。いまの神奈川県立歴史博物館です(神奈川県立歴史博物館)。

昭和のはじめ、外国人の客の多い弁天通に対して、馬車道は日本人を相手にした商店街でした。桜木町駅に近く、勤め人の通り道でもあり、そのまわりにはビリヤード場もあったといいます(『中区史』)。1936年の調べでは、76の店のうち27が明治の創業。老舗の多い通りでした。

1923年9月1日In Memory

関東大震災は、この街を焼き尽くしました。

県庁は焼け、税関は倒れ、イギリス総領事館も崩れました。開港記念会館は内部を失います(横浜市中区)。馬車道でも、正金銀行の本店など、ごく一部の建物を除いて、一面の焼け野原になりました(馬車道商店街)。

揺れに耐えた正金銀行の建物には、行員を含めておよそ300人が逃げ込みました。けれど、表門が閉ざされたために中へ入れなかった百人あまりの人が、石塀の内側で亡くなっています(『中区史』)。

横浜公園には、火に追われた人たちが次々に逃れてきました。その数は、午後には6万人にのぼったといいます。破れた水道管から流れ込んだ水で、公園は一面の泥の海になりました。人々は水に身を浸して、迫る火の熱をかろうじてしのぎました。それでも、公園の南の隅では、およそ50人が煙に巻かれて亡くなっています。その年の11月1日、震災で亡くなった人たちを悼む会が、この公園で開かれました(『中区史』)。

建て直された街Rebuilding

復興のなかで、日本大通りの車道は22メートルに広げられ、両側に68本のイチョウが植えられました。1927(昭和2)年から3年をかけての植樹です。いま見る並木の姿は、このときに始まります(文化庁・横浜市道路局)。

1928(昭和3)年、四代目の神奈川県庁が完成します。1929年には横浜地方裁判所、1931年にはイギリス総領事館が建て直され、1934年には横浜税関の新しい庁舎ができました。焼けた開港記念会館も、鉄筋コンクリートの柱と梁を入れて立ち直ります(横浜市中区・文化庁)。

開港資料館の中庭には、「たまくす」と呼ばれるタブノキがあります。横浜がまだ農漁村だったころからこの地にあり、ペリーの上陸を描いた絵の中の木がこれにあたると考えられています(横浜市中区)。1985年の区の歴史は、いまの木を、かつて村の家の庭先にあった木の何代かのちの株であり、「横浜の歴史の生き証人」だと書いています(『中区史』)。

三つの塔King, Queen & Jack

横浜三塔キングの塔クイーンの塔ジャックの塔三塔物語

港から街を振り返ると、三つの塔が見えます。

昭和のはじめ、港に入る外国の船乗りたちが、トランプのカードに見立てて呼んだのが始まりといわれます。船乗りたちは航海の安全を祈り、この塔を目印に港へ入ったとも伝えられています(神奈川県)。

  • キングの塔 神奈川県庁本庁舎:1928(昭和3)年10月31日竣工、高さ48.6メートル。設計競技で選ばれた小尾嘉郎の案をもとに、県が設計しました。茶褐色のタイルの建物の中央に、五重塔を思わせる塔。和風の屋根と洋風の建物を組み合わせた「帝冠様式」の先駆けとされます。2019年、国の重要文化財(神奈川県・横浜市中区)。
  • クイーンの塔 横浜税関本関庁舎:1934(昭和9)年竣工、高さ51.46メートルで、三塔のうちいちばん高い塔です。緑青色のイスラム寺院風のドーム。建てられたころ、塔の6階の外側には8つの装飾照明がありました。白熱灯に浮かぶ塔の姿は、長い航海を終えた船乗りの目に、魅力的な港の灯りとして映ったに違いない、と横浜税関は書いています。2003年、歴史的な建物の大半を残して改修・増築され、いまも税関の庁舎として使われています。
  • ジャックの塔 横浜市開港記念会館:1917(大正6)年竣工、高さ36メートル。開港50周年を記念して、市民からの寄付を募って建てられました。赤煉瓦と花崗岩の「辰野式」の建物です。震災で内部を焼きましたが、立ち直り、1988年にはドーム屋根が復元されて、いまの姿になりました。1989年、国の重要文化財(横浜市中区)。

三つの塔を一度に見られる場所は、限られています。赤レンガパーク、日本大通り、大さん橋。この三か所を一日で巡ると願いが叶う、という言い伝えがあり、「横浜三塔物語」と呼ばれています。三つの場所には、それぞれ地面に目印が置かれています(神奈川県)。

接収の時代と、その後After 1945

1945(昭和20)年5月29日の横浜大空襲で、関内はふたたび焼かれました。馬車道も、また焼け野原になります(馬車道商店街)。

本町や日本大通りの焼け残った役所や商社のビルは、戦後、そのほとんどが連合国軍に接収されました(『中区史』)。接収地は中区の面積の74%に及んだといいます(『中区歴史年表』)。横浜税関の庁舎は、8年にわたって接収されています(横浜市中区)。戦後の関内のようすは、関内・伊勢佐木町のページでもご紹介しています。

横浜公園の球場は、1934年に、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックらの大リーグ選抜チームが全日本チームと戦った場所でした(文化庁)。戦後は接収されて「ゲーリック球場」と呼ばれ、1952年に返されます(横浜市中区)。返されたのちは「平和球場」と名づけられ、1978年、その跡に横浜スタジアムが建ちました(文化庁)。

戦災をまぬかれ、接収もされなかった馬車道の横浜宝塚劇場には、娯楽に飢えた市民が、映画を観るために長い列をつくったといいます(『中区史』)。1952年、馬車道のまわりの接収が解かれはじめると、店が少しずつ戻ってきました。1954年、商店街の協同組合が生まれます(馬車道商店街)。

歴史を、まちづくりにBashamichi Revival

高度成長の時代、街のにぎわいは横浜駅の周りへ移っていきました。週末の馬車道は、映画館のほかには人通りのほとんどない町になったといいます(『中区史』)。

そのなかで馬車道の人たちが選んだのは、町の歴史を生かすことでした。1967年、旧横浜正金銀行の建物は神奈川県立博物館に生まれ変わり、震災で失われた高さ19メートルのドームが復元されます(馬車道商店街)。1975年には横浜市と「まちづくり協定」を結び、通りに面した建物を2.5メートル後ろへ下げて歩く場所を広げることを決めました。歩道は赤レンガで敷かれ、明治のガス灯をかたどった街灯が立てられました(『中区史』)。1976年には、第1回の「馬車道まつり」が開かれています(馬車道商店街)。

1985年の区の歴史には、昼休みになると車を止めた日本大通りで、まわりの役所に勤める人たちがスポーツで汗を流していたことも書かれています。2002年の再整備で日本大通りの歩道は大きく広げられ、銀杏並木の下には、オープンカフェが開かれるようになりました(横浜市)。

Our View

私たちの見方 使い続けることで、残す

この街の石の建物は、震災に焼かれ、空襲をくぐり、接収の時代を越えてきました。そして多くが、いまも県庁として、税関として、公会堂として、毎日働いています。

古い建物を、ガラスの向こうに飾っておくのではなく、使い続ける。馬車道の人たちが、自分たちの通りの歴史を、ガス灯と赤レンガで立ち上げ直したのも、同じ心持ちだったのだと思います。この街を歩くと、残すということは、使い続けることなのだと教えられます。

※この枠は、Yokohama Open実行委員会の考えです。

いまの馬車道・日本大通りToday

  • 神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店):1904年に建てられたネオ・バロック様式の建物。1969年に国の重要文化財、1995年に国の史跡。「かながわの文化と歴史」を先史から現代までたどれます。2026年10月16日まで休館しています(再開の日は公式サイトでお確かめください)。開館時間は9時30分〜17時(入館は16時30分まで)、月曜休館(祝日は開館)。みなとみらい線馬車道駅から徒歩1分。
  • 神奈川県庁本庁舎(キングの塔):平日の8時30分〜17時15分に見学できます。6階の歴史展示室、屋上の展望台から、港と、クイーンとジャックの塔が間近に見えます。旧貴賓室や旧議場は、庁舎公開など特別な日のみ。みなとみらい線日本大通り駅の県庁口からすぐ。
  • 横浜税関 資料展示室「クイーンのひろば」:税関本関の1階。運上所時代の門の再現や、密輸の手口、偽ブランド品などの展示があります。10時〜16時、入場無料。
  • 横浜市開港記念会館(ジャックの塔):いまも市民が使う公会堂です。開港50周年を記念してつくられた横浜市の市章「浜菱」が、ステンドグラスやバラ窓にさりげなく取り入れられています。
  • 横浜開港資料館:開港百年を記念した『横浜市史』の編さんの資料をもとに、1981年の開港記念日(6月2日)に開館しました。旧館は、1972年まで使われた旧イギリス総領事館(横浜市指定有形文化財)。中庭に「たまくす」の木。
  • 象の鼻パーク:開港の地。明治の形に戻された防波堤を、先端まで歩けます。レストハウスの「象の鼻テラス」は、アートスペースを兼ねています。
  • ニュースパーク(日本新聞博物館):「日刊新聞発祥の地」横浜で、日本新聞協会が運営する情報と新聞の博物館。日本大通りの横浜情報文化センターの中にあります。10時〜17時(入館は16時30分まで)、月曜休館。
  • 横浜公園と横浜スタジアム:日本大通りの突き当たり。JR関内駅から徒歩2分。
  • ガス灯:馬車道通りから山下公園通りまで、約4キロにわたって149基のガス灯が立っています。馬車道のガス灯は、すべて本物のガスで灯ります。関内ホールの前には、「日本で最初のガス灯」の記念碑と、当時のものを復元したガス灯があります(馬車道商店街)。

Our Suggestion

夕暮れに、三つの塔を探して。

日が傾きはじめたら、日本大通りへ。県庁東庁舎の側の歩道に立つと、キング、クイーン、ジャックの三つの塔が、一度に目に入ります。足もとに、三塔物語の目印を探してみてください。

そこから海沿いに、赤レンガパークへ。振り返れば、また三つの塔。そこから象の鼻パークを通って、大さん橋へ。先端まで歩いたら、灯りのともりはじめた塔を、海の側から眺めてください。昭和のはじめ、長い航海を終えた船乗りたちが目印にした景色です。

帰り道は馬車道へ。ほの青いガス灯の下を、関内のほうへ歩いてみてください。

※歩き方は実行委員会からのご提案です。赤レンガ倉庫のあたりの話は桜木町・みなとみらいのページで、山下公園は中華街・元町・山下公園のページでご紹介しています。

Our Suggestion

銀杏の季節に、海から公園へ。

秋の終わり、日本大通りの銀杏が色づいたら、象の鼻パークから歩きはじめてください。海を背にして、まっすぐ横浜公園へ。百五十年前、港に着いた人を、この国へ迎え入れるために引かれた線です。

この並木は、震災の焼け跡に植えられたものです。突き当たりの公園は、その日、6万の人が火から逃れた場所でした。黄色く染まった道を歩きながら、少しだけ、そのことを思い出してください。

※歩き方は実行委員会からのご提案です。

撞くPlay

昭和のはじめ、馬車道のまわりにはビリヤード場があったと、区の歴史は伝えています。いまは、馬車道から歩いてすぐの関内・伊勢佐木町に、ビリヤード場が集まっています。関内・伊勢佐木町のページへ →

食べる・飲むEat & Drink

大会協賛 横浜ビール 本店レストラン(UMAYA/YOKOHAMA BEER STAND)

横浜市内で最も長い歴史を持つ地ビール会社の本店。2階がレストラン「UMAYA」、1階が醸造所を併設したビアスタンドです。「アルト」は World Beer Cup 2024 のジャーマンスタイル・アルトビア部門で銀賞を受けています。中区住吉町、JR桜木町駅・みなとみらい線馬車道駅から徒歩5分。はしご酒の一軒目にも。

公式サイト

昔から街に親しまれてきた店(掲載料はいただいていません)

勝烈庵 馬車道総本店

昭和2年創業のとんかつの店。初代と縁のあった棟方志功の作品が、店内に多く飾られています。JR関内駅北口から徒歩5分。

公式サイト
スカンディヤ

1963年創立。日本大通りの近く、海岸通りに店を構えます。日本大通り駅から徒歩3分。

公式サイト

泊まるStay

横浜市観光協会の公式サイトでは、関内・馬車道・伊勢佐木町のエリアで宿を絞り込めます。BASEGATE横浜関内には、旧市庁舎の建物を生かしたホテル「OMO7横浜 by 星野リゾート」もあります。

となりのエリアNearby

馬車道日本大通り横浜三塔キングの塔クイーンの塔ジャックの塔三塔物語象の鼻パーク開港の地豚屋火事ブラントン横浜公園彼我公園神奈川県立歴史博物館横浜正金銀行横浜開港資料館たまくすの木ガス灯アイスクリーム発祥近代街路樹発祥の地日本大通り 銀杏並木

出典(確認日:2026年10月4日)

数字は出典の時点のものです。開館時間・休館日・料金などは変わることがあります。お出かけの前に、各公式サイトでお確かめください。