横浜を訪れる方へ

Visit Yokohama

大会に出る人も、観に来る人も。
撞き終えたあとの一杯や、翌朝の港の散歩まで含めて、横浜で過ごす時間をご案内します。

横浜への行き方Access

羽田空港から約30分

京急線で横浜駅へ。横浜方面への直通電車があります。リムジンバスなら、横浜駅東口のYCAT(横浜シティ・エア・ターミナル)まで約30分。

成田空港から約90分

成田エクスプレスで横浜駅へ、乗り換えなしで向かえます。リムジンバスならYCATまで約100分。

新幹線で(新横浜駅)約15分

市営地下鉄ブルーラインで関内駅まで、快速で約14分・普通で約17分。横浜駅へも、地下鉄で乗り換えなしで向かえます。

横浜駅から関内駅までは、JR京浜東北線・根岸線で約5分。所要時間は目安です。

エリアから選ぶAreas

関内・伊勢佐木町関内と関外の由来、生まれ変わる関内、イセザキ・モール、曙町、福富町。ビリヤード場が集まるエリアです。このエリアを見る → 寿町縁起を祝って名づけられた町。戦後の港を支えた人たちの、簡易宿泊所の街の歴史と、いま。このエリアを見る → 吉田町吉田勘兵衛の名を継ぐ町。関門の外の「かねの橋」から、防火帯建築の通りと、夜のノラねこ通りへ。このエリアを見る → 野毛・都橋商店街日本最初の鉄道の駅から、戦後の「日本人町」へ。くじら横丁の煙、都橋商店街の弧、ジャズと大道芸、はしご酒の街。このエリアを見る → 黄金町・日ノ出町漢籍から名をもらった川べりの町。ガード下の時代、町の人が取り戻した町、アートと大岡川の桜、濱マイクの横浜日劇。このエリアを見る → 馬車道・日本大通り港が開いた場所から延びる銀杏並木と、異国の馬車が走った道。大火、震災、接収をくぐり抜けた石の建物と三つの塔が、いまも働く街。このエリアを見る → 桜木町・みなとみらい日本で最初の鉄道の駅から、造船所と操車場の跡に生まれた街へ。明治の石のドック、汽車道、赤レンガ倉庫と、夜の港。このエリアを見る → 横浜駅周辺入江の上に建った三代目の駅、「砂漠」から生まれた西口、開港の寺が残る神奈川宿の坂。世界王者・井上尚弥チャンピオンの大橋ジムも、この街に。このエリアを見る → 山下町居留地だった町。震災のがれきの上の公園と、海に浮かぶ氷川丸。昭和のはじめから港を見つめてきたホテル。このエリアを見る → 元町・中華街開港で移された村の名を残す商店街と、海を渡ってきた人たちが築いた門の街。焼けるたびに建て直された廟を訪ねて。このエリアを見る → 山手町外国人たちが「BLUFF」と呼んだ丘。震災を越えて建て直された西洋館と、海の見える墓地、港を見下ろす公園。このエリアを見る → 本牧・三溪園漁の村から、原三溪が開いた日本庭園へ。古建築と四季、侘び寂び、接収の時代と本牧の音楽。このエリアを見る →

テーマで歩くThemes

横浜の歴史の豆知識A Little History

  • 関内と関外:開港のあと、開港場への出入りを見張る関門が置かれました。吉田橋の関門の内側が「関内」、外側が「関外」。いまも使われる呼び名です。関内・伊勢佐木町へ →
  • 日本で最初の鉄道:1872(明治5)年、新橋と横浜のあいだに開業。初代の横浜駅が、いまの桜木町駅です。
  • 山下町と中華街:開港のあと外国人居留地となり、1899(明治32)年に居留地の町名を廃止して「山下町」が置かれました。中華街は、西洋の商人とともに来た中国の商人たちが商いを始めたところから形づくられ、いまは600軒以上の店が並びます。1927(昭和2)年に開業したホテルニューグランドは、シーフードドリアやスパゲッティナポリタン、プリン・ア・ラ・モードが生まれた場所として知られます。
  • 山手:外国人に貸し出された高台で、外国人たちは「BLUFF」と呼びました。横浜市が公開する山手の西洋館は7館あり、どれも入館無料です。外国人墓地の始まりは、1854年、ペリー艦隊の水兵の埋葬にさかのぼります。
  • 接収と復興:戦後、横浜の中心部は連合国軍に広く接収されました。大桟橋が返されたのは1952年、山下公園の住宅地区が返されたのは1960年。いまの港の景色は、その長い返還の歩みのあとにあります。

横浜でビリヤードをBilliards

撞ける場所、観られる大会、出場する選手の記録。

泊まるStay

宿は、横浜市観光協会の公式サイトから、エリアを絞って探せます。大会の会場に近いエリアを選ぶと、朝が楽になります。