中華街・元町・山下公園

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Chinatown / Motomachi / Yamashita Park

開港とともに海を渡ってきた人たちが築いた街と、移り住んだ村の名を残す商店街。
震災のがれきの上に生まれた海辺の公園と、異国の人が「BLUFF」と呼んだ丘。
何度も焼け、そのたびに建て直されてきた街を歩きます。

中華街Chinatown

1859年の開港のあと、西洋の商人とともに、中国の商人たちが横浜にやってきました。彼らがこの地で商いを始めたところから、中華街はしだいに形づくられていきます。開港のころ外国人居留地とされたこの一帯は、1899(明治32)年に居留地の町名をやめて「山下町」となりました。

かつて、この街は「南京町」と呼ばれていました。1955年2月、戦後の復興の願いを込めて大通りに門が建ち、そこに「中華街」の名が掲げられます。それがいまの呼び名の始まりです。門はのちに建て替えられ、いまは「善隣門」と呼ばれています。

いまでは、約500m四方に約630の店が並び、そのうち中国料理の店は約200(横浜中華街発展会、2022年)。街の入口には、東西南北の守り神にちなむ門をはじめ、10基の牌楼(門)が立っています。

関帝廟と媽祖廟Temples

関帝廟の始まりは、1862年、裏通りに建てられた小さな祠でした。1871年に本格的な廟が建てられたのち、1923年の関東大震災で倒れ、1945年5月29日の空襲で街とともに焼け、1986年の元旦には原因のわからない火事で焼失します。いまの関帝廟は、1990年に開かれた四代目です。焼けるたびに、この街の人たちは廟を建て直してきました。

2006年には、媽祖廟が開かれました。かつて清国の領事館があったといわれる場所で、工事の際に見つかった関東大震災より前の煉瓦は、入口の構造物に使われています。

春節、端午節、中秋節。横浜中華街発展会が「中華三大節句」と紹介する季節の行事の日には、街がいっそう華やぎます。

元町Motomachi

元町の名は、開港の歴史そのものです。開港場をつくるため、1860(万延元)年、横浜村の約90戸が、堀川の向こうへ移されました。元の横浜村を移したことから、ここは「元町」と呼ばれるようになります。

やがて山手の丘に外国人が暮らすようになると、元町通りは、山手の住まいと関内の商館を結ぶ毎日の通り道になりました。外国人を相手にした家具屋やパン屋が生まれ、異国の香りのする商店街が育っていきます。

関東大震災で壊滅し、1945年の空襲でふたたび焼け野原に。それでも1947年には商店街の会がつくられ、街は立ち上がりました。1985年、街のシンボルとして建てられた門は「フェニックスアーチ」。不死鳥の名を持つ門です。

山手の女学校の学生たちが着ていた装いを、女性誌が「ハマトラ」と名づけて紹介し、その流行が、元町の名を全国に広めました(横浜元町ショッピングストリートより)。

山下公園と港Yamashita Park

海沿いの山下公園は、関東大震災のがれきを埋め立ててつくられた公園です。がれきの捨て場として海が指定され、1925年に護岸の工事が始まり、1930年に開園しました。街が失ったものの上に、いまの海辺の景色があります。いまは国の登録記念物(名勝地)です。

  • 氷川丸:1930(昭和5)年に横浜船渠で完成した貨客船。みなとみらいの造船所の前身でつくられた船です。シアトル航路を走り、戦争中は病院船、戦後は引揚船となり、1960年に引退しました。チャップリンも乗ったことで知られます。国の重要文化財です。
  • ホテルニューグランド:1927(昭和2)年の開業。本館は建築家・渡辺仁の設計で、横浜市の歴史的建造物です。ドリアは初代総料理長サリー・ワイルの考案、スパゲッティ ナポリタンは二代目総料理長の入江茂忠が接収の時代に生み出し、プリン・ア・ラ・モードは当時のパティシエが考えたものと、ホテルは伝えています。
  • 横浜マリンタワー:開港100周年の記念事業として、1961年に建てられた高さ106mの塔。当時は世界でいちばん高い灯台で、2008年まで灯台の役目を担いました。2022年にリニューアルしています。
  • 赤い靴はいてた女の子像:山下公園の海辺に座る、童謡でなじみ深い女の子の像です。

山手The Bluff

港を見下ろす山手の丘を、外国人たちは「崖」を意味する英語で「BLUFF」と呼びました。1866年の取り決めで外国人に貸し出されることになったこの丘には、いまも西洋館が残り、横浜市が公開する7館は、どれも入館無料です。

外国人墓地の始まりは、1854年。ペリー艦隊の水兵が亡くなり、ペリーの求めた「海の見える地」にかなう場所として、この丘の寺の境内に葬られました。いまでは5,000人を超える人がここに眠っています。

丘の上の港の見える丘公園からは、横浜港とベイブリッジが見渡せます。

作品の舞台を歩くOn Location

あぶない刑事 ロケ地帰ってきた あぶない刑事山下公園 ロケ地ホテルニューグランド港の見える丘公園

『あぶない刑事』のロケ地として、横浜市観光情報サイトは、山下橋、山手のベーリック・ホール、氷川丸、ホテルニューグランド、中華街の華正樓のあたり、港の見える丘公園などを挙げています。2024年の映画『帰ってきた あぶない刑事』では、横浜市がロケ地マップをつくり、中華街や元町の商店街もタイアップに加わりました。横浜市は、山下公園を「定番ロケ地」とも紹介しています。

Our Suggestion

朝は海辺から、夕方は中華街へ。

人の少ない朝の山下公園で、氷川丸と港を眺める。元町を抜けて山手の坂を上り、西洋館と外国人墓地のあいだを歩く。港の見える丘公園で一息ついたら、坂を下りて、灯りのともりはじめた中華街へ。

焼けては建て直されてきた街を、一日かけて歩く。先人たちが積み重ねてきた時間に触れる、横浜らしい一日です。

※歩き方は実行委員会からのご提案です。元町・中華街駅から、中華街・元町は徒歩1分、山下公園は徒歩3分、港の見える丘公園は徒歩5分です(目安)。外国人墓地の公開日は、公式サイトでご確認ください。

撞くPlay

中華街から関内駅までは徒歩7分。関内・伊勢佐木町に、ビリヤード場が集まっています。関内・伊勢佐木町のページへ →

食べるEat

街の歴史とともにある店(掲載料はいただいていません)

ホテルニューグランド ザ・カフェ

ドリア、ナポリタン、プリン・ア・ラ・モード。このホテルで生まれた料理を、いまも味わえます。

公式サイト
霧笛楼

1981年、元町に「仏蘭西料亭」として生まれた店。港町の西洋と日本の文化を映す料理です。

公式サイト

泊まるStay

横浜市観光協会の公式サイトでは、エリアを絞って宿を探せます。山下公園の前には、1927年開業のホテルニューグランドがあります。

となりのエリアNearby

出典(確認日:2026年10月1日)

所要時間・料金・営業時間などは変わることがあります。お出かけの前に、各公式サイトでお確かめください。