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4月、スーツが新しかった。
通勤電車の中で、少し背筋を伸ばしていた。
社会人になった自分が、まだ少し誇らしかった。
あれから2ヶ月が経った。
6月の、正直な気持ち
思い描いていた自分と、今の自分が少しずれている。
会議では、話についていけない時がある。
先輩に聞こうと思って、タイミングを逃す。
ミスをして、夜になっても頭から離れない。
疲れて帰ってきて、ごはんを作る気力もない。
「社会人ってこういうものか」と思いながら、でも「こういうものなのか」と確信も持てない。
あの4月の自分は、もう少し違うものを想像していた。
正解が、なくなった
学生の頃、正解があった。
テストには答えがあって、頑張れば点数になった。
部活にも、ルールがあった。
評価の基準が、どこかにあった。
でも今は、正解がわからない。
何をどう頑張れば良いのか、正直よくわからない日がある。
協調性、主体性、姿勢——目に見えない何かで評価されている気がして、少し居心地が悪い。
給料をもらうようになって、同じ失敗でも意味が少し変わった気がした。
誰かに「よくできました」と言ってもらえる瞬間が、思ったより少ない。
自分で決める、ということ
正解がないということは、自分で決めるしかない、ということだった。
何を優先するか。
誰に相談するか。
今この場面で、何をするか——。
誰も教えてくれない。
でも誰かが決めてくれるのを待っていると、何も動かない。
わかっていない自分が、情けない時がある。
先輩は、どうしてあんなに迷わないんだろうと思う日もある。
でも、あの人たちも最初から知っていたわけじゃない。
失敗して、迷惑をかけて、それでも続けた先で、少しずつ「自分で決める」感覚を身につけてきたのかもしれない。
テーブルの前で、気づいたこと
ビリヤードは、誰も指示してくれない。
この配置をどう読むか。
次をどこに出すか。
リスクを取るか、安全にいくか。
全部、自分が決める。
うまくいかなくても、言い訳できない。
うまくいった時、それは自分で選んだ結果だった。
学生の頃は、正解を探していた。
テーブルの前には、正解なんて置いていない。
あるのは、目の前の一球だけだった。
その繰り返しが、なんとなく今の自分に似ている気がした。
6月でも、まだ間に合う
4月には知らなかったことがある。
でも、それは悪いことじゃない。
思い通りにいかないことも。
自分の未熟さに気づくことも。
誰かに助けられることも。
全部、4月には知らなかったことだ。
慣れない毎日の中で、自分だけの時間を少し持つこと。
頭を空にして、一球に集中する夜があること。
そういう夜が、案外大事だったりする。
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