テーブルの上で、脳が動いている。

その人は、じっとテーブルを見ていた。

腕を組んで、少し首をかしげて、球の配置を見渡している。

何秒だろう。
10秒か、15秒か。

やがて、ゆっくりとテーブルの反対側へ歩いた。

同じ配置を、別の角度から見ている。

また少し考えて、チョークを塗って、構えに入った。

静かだった。

そして、キューが出た。

球が走る。
ポケットに落ちる。
手球がクッションに当たって、次の球の前で止まる。

また歩く。
また見る。
また考える。

傍から見ると、ただ球を撞いているだけに見えるかもしれない。

でも、あの数秒の間に、頭の中では何が起きていたのだろう。


見えない計算

一球を撞く前に、頭の中では何球も転がっている。

この球を入れたら。
手球はここへ。
次は右か、左か。
クラスターは今崩すか、それとも残すか。

テーブルの上では一球しか動いていない。
頭の中では、何通りもの未来が同時に動いている。

角度を読む。
距離を測る。
力加減を決める。

それを、一球ごとに繰り返す。

空間を丸ごと把握して、その中で最善を選び続ける。

テーブルの上で球を撞いているように見えて、実は脳がフル稼働している。


考えているのに、考えていない

不思議なのは、考えているのに考えていないことだ。

手球がどこへ転がるか。
身体は先に知っている。

「この厚みなら、ここへ行く。」

何千球も撞いてきた記憶が、考える前に身体から出てくる。

頭で計算しているわけではない。
でも、身体がすでに答えを持っている。

その感覚を、テーブルの前に立つたびに確かめている。


切り替え続ける

一球ごとに、状況が変わる。

さっきまで描いていたプランが、一球外れただけで崩れる。

その瞬間に、新しいプランを組み立て直す。

攻めていたのに、守りに切り替える。
守っていたのに、一瞬のチャンスで攻めに転じる。

一つの考えに固執していたら、テーブルはすぐ別の景色になる。

次の一手へ、頭を切り替え続ける。

ビリヤードは、その繰り返しだ。


70歳の常連

ある店に、70代の常連がいた。

毎週同じ曜日に来て、同じテーブルで撞いている。

仲間と話しながら、笑いながら、時々真剣な顔で構えて、撞く。

球を入れるたびに笑うわけでもない。
外しても、大きく悔しがらない。

その人の動きは、決して速くない。
でも、丁寧だった。

テーブルを歩く。
配置を読む。
判断する。
身体を動かす。
仲間と話す。

考えること。
動くこと。
人と関わること。

全部が、一つのテーブルの上で同時に起きている。

それを、何時間も続けている。


研究も、気づき始めている

実は近年、キュースポーツと認知機能の関係は研究でも注目され始めている。

日常的にプレーする人では、集中力や認知機能との関連を示す報告がある。

プロ選手では、反応速度や距離・速度の予測能力が高い傾向も報告されている。

そして高齢者では、身体活動と人との交流を同時に続けられるスポーツとして研究されている。

テーブルの前で起きていることが、単なる遊びではないことを、研究が少しずつ裏づけ始めている。


まだ、知られていない

ビリヤードに対するイメージは、人それぞれだと思う。

でも、テーブルの前に立ってみると、そのイメージは少し変わるかもしれない。

テーブルの上では、球だけが動いているように見える。

本当は、その前に脳が動いている。

それを知ると、ビリヤードは少し違うスポーツに見えてくる。

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参考文献

  • Sagoo, R. (2017). Exploring aspects of cognitive development and mental health awareness as part of health promotional goal in snooker. Psychreg Journal of Psychology, 1(1).
  • Assessment of Cognitive Skills in Billiards Players. (2023). CBÜ Beden Eğitimi ve Spor Bilimleri Dergisi, 18(2).
  • Lassen, A. J. (2014). Billiards, rhythms, collectives: Billiards at a Danish activity centre as a culturally specific form of active ageing. Journal of Aging Studies, 31, 1-9.

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