買い物の帰り道だった。
牛乳2本と、ペットボトルと、夕飯の食材。
レジ袋が、指に食い込んでいた。
信号待ちで手を見ると、指先が白くなっていた。
鬱血している。
持てないほど重いわけじゃない。
でも、細い取手に重さが全部集まると、指だけが悲鳴を上げる。
信号が変わる。 袋を持ち替えて歩き出した。
ふと思った。
同じ重さなのに、リュックなら平気だ。
なんでだろう。
答えは、面積だった
重さは同じ。
違ったのは、その重さを受け止める面積だった。
細い取手は一点に重さが集まる。 リュックの肩紐は広い面積で受け止める。
同じ重さなのに、痛さだけが変わる。
包丁が切れるのも。 画鋲が刺さるのも。 カンジキが雪に沈まないのも。
面積の話だった。
スーパーの袋で鬱血したことが、こんな話につながるとは思っていなかった。
もしかして
ここで、ふと頭をよぎった。
ビリヤードだった。
キューの先端についている、あの小さな革のパーツ。
タップ。
あれも、面積の話なんじゃないか。
チョークを塗る理由
ビリヤードを始めた頃、「撞く前にチョークを塗ってね」と言われた。
言われるまま塗っていた。
理由は知らなかった。
チョークは、タップと球の間に摩擦をつくる。
インパクトのほんの一瞬、タップが球に噛みつく。
力が逃げずに伝わる。
あの小さな青い四角は、接触をコントロールする道具だった。
スーパーの袋と、同じ物理だった。
ブリッジのことも
そう考えると、構えている時の左手にも同じことが起きていた。
初心者の頃、指先だけでキューを支えていた。
不安定だった。
上手い人を見ると、手のひら全体がテーブルについている。
支えているのは指じゃなかった。
面積だった。
広く支えるほど、ブレなくなる。
テーブルの上にも、同じ物理があった。
気づきは、別の場所にあった
スーパーの袋から始まって、チョークにつながって、ブリッジにつながった。
物理を勉強しようと思っていたわけじゃない。
指が痛かっただけだ。
でも、「なんでだろう」と思った瞬間から、全部つながり始めた。
本を読んでいて仕事のヒントが見つかることがある。 映画を観ていて、人間関係の答えに出会うことがある。
気づきは、意外と別の場所に隠れている。
あの日の鬱血
今でも、スーパーの袋を持つと指が痛くなる。
エコバッグを忘れる日もある。
でも、あの日の鬱血のおかげで、一つ物理を覚えた。
そして、その物理はビリヤードにつながっていた。
世界は、別々にできているようで、案外つながっている。
スーパーの帰り道も。 ビリヤード場も。
「なんでだろう」と立ち止まった場所に、気づきは落ちている。





