本牧・三溪園

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Honmoku / Sankeien Garden

漁の網に神が現れたと伝わる、海辺の村。
生糸で財を成した一人の実業家が、その谷あいに古い建物を集め、庭を人々に開きました。
海は埋め立てられ、接収された土地は返され、それでも残ったものを訪ねます。

本牧という土地Honmoku

本牧の名は古く、1545(天文14)年の北条氏康の文書に「本牧郷」と記されています。「牧」の字を持ちながら、「本目」と書いた記録もあり、地形から見ても牧場とは関わりがないと考えられています(横浜市中区)。

本牧十二天という町名は、村の鎮守・十二天、いまの本牧神社にちなみます。漁の網の中にご神体が現れ、それを祀ったのが始まりと伝えられてきました。頭が馬で体が亀の「お馬さま」に町の災いを託し、沖へ流す「お馬流し」は、神奈川県の無形民俗文化財です。

本牧の前の海は、豊かな漁場でした。貝を捲き、網を張り、潜って獲る。昭和30年代まで、さまざまな漁がこの海で営まれていました。秋には海苔下駄を履いて海に支柱を立て、冬から春にかけて海苔を摘む。干し上げた海苔は、100枚ずつ束ねて出荷されたといいます(横浜市八聖殿郷土資料館)。

その海は、1963年から1968年にかけて、本牧ふ頭のために埋め立てられます。海だった場所は、1969年に本牧市民公園になりました。三溪園の年表にも、「三溪園前面の本牧海岸の埋め立てが始まる」と記されています。庭の前には、かつて海がありました。

三溪園と原三溪 ― 横浜の日本庭園Sankeien Garden

三溪園三渓園横浜 日本庭園原三溪Sankeien Garden

三溪園をつくった原三溪(本名・富太郎、1868〜1939)は、生糸の貿易で財を成した横浜の実業家です。号の「三溪」は、この土地の名「三之谷(さんのたに)」から取られました。

1906(明治39)年5月1日、三溪は庭の一部、いまの外苑を、無料で人々に開きます。「この明媚な自然の風景は創造主のものであって、私有物ではない」。三溪園は、三溪の言葉をそう伝えています。開園のころは「遊覧御随意」を掲げ、外苑を一日中、無料で開いていたといいます。2026年は、開園から120年にあたります。

三溪は、京都や鎌倉などから古い建物を移していきました。室町時代の三重塔、紀州徳川家の別荘と考えられた御殿、織田有楽の作とされる茶室、白川郷の民家。1922年、聴秋閣と春草廬の移築をもって、三溪の手による移築は終わり、庭は完成します。広さは約17.5ヘクタール。園内の古建築17棟のうち、10棟が国の重要文化財、3棟が横浜市の有形文化財に指定され、庭そのものが国の名勝です。

三溪は、画家たちを支えたパトロンでもありました。住まいだった鶴翔閣には横山大観や前田青邨が滞在して絵を描き、1916年には、インドの詩人タゴールが園内に2か月半とどまって詩を書いています。

1923年4月、内苑の完成を祝う茶会が開かれます。その年の9月1日、関東大震災。三溪は横浜市復興会長として私財を投じて街の再建にあたり、「横浜の恩人」と呼ばれました。1945年の空襲で庭は大きな被害を受け、戦後は三溪園保勝会が引き継いで復旧に取りかかります。内苑が初めて一般に公開されたのは、1958年のことでした。

主な古建築Historic Buildings

  • 旧燈明寺三重塔:1457(康正3)年、室町時代の塔。京都府木津川市の燈明寺から、1914年に移されました。重要文化財の塔としては関東でいちばん古く、園のシンボルです。臨春閣や聴秋閣から塔が見えるように、庭がつくられています。
  • 臨春閣:1649(慶安2)年、紀州徳川家の別荘「巌出御殿」と考えられた建物。三溪は11年をかけて配置を考え、1917年に移築を終えました。池に沿って三つの棟を奥へずらしてつなぐこの姿から、三溪園は「東の桂離宮」と呼ばれます。
  • 聴秋閣:1623年、徳川家光の上洛に際して二条城に建てられ、のちに春日局に与えられたと伝わる建物。三溪が「聴秋閣」と名を改め、まわりを秋の紅葉を楽しむ景色に整えました。
  • 春草廬:織田信長の弟・織田有楽の作とされる、江戸時代初めごろの茶室。三畳台目の小さな席に九つの窓があり、かつては「九窓亭」と呼ばれていました。
  • 鶴翔閣:1902年に建てられた三溪の住まい。画家たちが集う文化サロンでした(内部は通常は公開していません)。

日本庭園の美と、侘び寂びWabi-Sabi

侘び寂びは、ひとことで訳しにくい言葉です。足りないもの、古びたもの、移ろっていくものの中に、静かな美しさを見いだす心。茶の湯の世界で磨かれてきた、日本の美意識のひとつです。

三溪は、近代の三茶人の一人に数えられた人でした。春草廬の席は、畳三枚と、その四分の三ほどの畳一枚。その小さな空間に、九つの窓が開いています。

秋の紅葉を楽しむ楼には、「聴秋」と名づけました。

ここからは、私たちの感じ方です。

三溪園の建物は、どれも、生まれた場所を離れてここにあります。寺の塔も、御殿も、茶室も、山あいの民家も。それぞれの土地の時間を背負ったまま、谷あいの池のほとりに立っている。

欠けたものを、無理に埋めない。移ろうものを、止めようとしない。侘び寂びとは、流れてきた時間をそのまま受け入れる、ひとつの姿勢なのかもしれません。紅葉を見る、ではなく、秋を聴く。三溪の名づけも、その姿勢のなかにあったように思えます。

戦後の本牧と、返された土地Postwar Honmoku

戦争が終わると、本牧は米軍に接収されます。八聖殿郷土資料館によれば、1946年から1982年まで。そこには、海軍の家族のための広大な住宅地がありました。横浜市中区のサイトで紹介された歴史講座は、その時代を「本牧にできたアメリカが日本になるまで」と題していました。

1982年3月、接収が解かれます。返された高台は区画整理を経て、1998年から本牧山頂公園として少しずつ開かれていきました。広さは約22ヘクタール。本牧の高台の、見晴らしのよい公園です。

本牧と音楽Music

接収の時代の本牧には、米軍の人たちとその家族の住まいが建ち並び、学校や教会、将校クラブ、映画館までがそろっていたといいます。日本の中の「アメリカ」。海の向こうから届いたばかりのR&Bが、この街で鳴っていました(横浜髙島屋「ザ・ゴールデン・カップスの時代展」の資料、2014年)。

1964年、本牧にクラブ「ゴールデンカップ」が生まれます。その専属バンドとして結成されたグループは、本場のR&Bを演奏して評判になり、1967年に「ザ・ゴールデン・カップス」と名を改めてレコードを出しました。翌年の「長い髪の少女」で広く知られ、1969年には「本牧ブルース」という曲も残しています(同資料)。

やがて、返還の時が近づきます。米軍住宅地の返還を翌年に控えたころ、中区役所の呼びかけに市民のボランティアが集まり、本牧でのジャズ祭の計画が動きはじめました。はじめは、米軍住宅地の中で前衛的なフリージャズの演奏会を開く構想だったといいます。そのころの横浜では、行政の会館やホールではジャズやロックの演奏が許されず、野外音楽堂も取り壊されていました。

会場になったのは、本牧市民公園の野球場です。ジャズだけにこだわらず、ロックも、サンバも、ワールドミュージックもある「ごった煮」の野外の祭り。毎年8月の最後の日曜日、人々はグラウンドにシートを広げて、一日をのんびりと過ごしてきました。1995年、「YOKOHAMA本牧ジャズ祭」は15周年を迎えています(横浜市『調査季報』125号、1995年)。

1981年に始まった祭りは、その後も市民の手で続きました。協賛が集まらず一度途切れた2010年を越えて、2011年には30回目を迎えています(ヨコハマ経済新聞、2011年)。いまはアマチュアのバンドが集う「冬の陣」などの形で続き、2026年2月1日には、横浜市開港記念会館で「YOKOHAMA本牧ジャズ祭冬の陣 アマチュアジャズバンドフェスティバル Vol.14」が開かれました(YOKOHAMA本牧ジャズ祭実行委員会)。

米軍住宅の街は、1980年代に、ショッピングセンターなどへと姿を変えました。その街に憧れた若者たちの時間は、記録と、覚えている人の記憶のなかにあります。

けれど、音は途切れていません。クラブ「ゴールデンカップ」は、1964年の開店から60年を超えたいまも、本牧で扉を開けています。若い人から年配の人までが気軽に訪れ、ライブの夜には、演奏する人たちを迎えている、と店は伝えています(ゴールデンカップ公式サイト)。

漁の海も、海苔を摘んだ浅瀬も、海の向こうの国の家族が暮らした住宅地も、いまはもう見ることができません。それでも、地名に、祭りに、公園の起伏に、その時間は残っています。

  • 八聖殿郷土資料館:法隆寺の夢殿を模した八角形の建物。1933年に完成し、1937年に横浜市へ寄贈されました。本牧・根岸の古い写真や、漁具・農具を展示しています。入館無料。
  • 本牧市民公園:本牧ふ頭のための埋め立てでできた土地に、1969年に開かれた公園。三溪園の隣にあります。
  • 本牧山頂公園:1982年に返された接収地の高台を、公園として整えた場所です。

三溪園の四季Four Seasons

三溪園の花ごよみには、一年のほとんどの月に、見ごろの花が並んでいます。古い建物と池と木々は同じ場所にあり、季節だけが、その前を通り過ぎていく。いつ訪れても、その季節の三溪園があります。

春 ― 梅と桜Spring

春を告げるのは梅です。1908年、三溪は、江戸時代から名の知られた蒲田・小向・杉田の梅林から古木1,500本あまりを集め、梅林の完成を祝って観梅会を開きました。戦争などで途絶えたのち、1975年に再び始まり、2026年で52回目。いまは約500本の梅があり、三溪が移したころから残る遅咲きの臥竜梅や、1977年に上海市から贈られた早咲きの緑萼梅も咲きます。

観梅会の土日祝には、外苑の奥の東屋「初音茶屋」で、麦茶がふるまわれます。開園のころ、ここではいつも湯が沸かされ、誰もが自由にお茶を飲むことができました。1915年には芥川龍之介も立ち寄り、そのもてなしを俳句に詠んだと伝えられています。

3月中旬から4月上旬は、9種類、約250本の桜。大池のまわりにはソメイヨシノ、臨春閣の前の広場にはオオシマザクラ、八つ橋や鶴翔閣のあたりには八重紅枝垂れ。旧燈明寺本堂の前や合掌造りの民家のそばには、関東では珍しい、岐阜県ゆかりの桜も咲きます。桜の夜には、三重塔にも灯りがともります。

4月から5月は、藤、ツツジ、牡丹。5月から6月にかけては、花菖蒲とサツキが続きます。

夏 ― 蓮の朝Summer

6月は紫陽花。7月から8月は蓮の季節です。泥の中から清らかな花を咲かせることから、原三溪がとりわけ愛した花。明け方に咲きはじめ、朝7時から9時ごろに見ごろを迎えます。夏の週末の「早朝観蓮会」の日には、その時間に合わせて、朝7時に門が開きます。

秋 ― 月と紅葉Autumn

9月の観月会では、灯りに浮かぶ臨春閣を舞台に、琵琶や雅楽、箏などが奏でられます。夜の庭では、三重塔や聴秋閣にも光があてられます。

紅葉は、11月から12月。三溪園がいちばん美しい紅葉の場所として挙げるのは、聴秋閣のまわりです。建物の奥には、奈良から運んだ大きな岩を配した渓谷がつくられています。渓谷の中ほどから下を見ると、紅葉に包まれた聴秋閣の向こうに、三重塔。三溪園はその眺めを「一幅の絵画」と表しています。この季節には、聴秋閣の奥の遊歩道が開かれ、旧天瑞寺寿塔覆堂のあたりでは、イチョウが黄金色に染まります。

冬 ― 香りと静けさWinter

12月から1月は、水仙と寒椿、山茶花。1月から2月にかけては、蝋梅が香ります。正月の三が日には、三溪の住まいだった鶴翔閣が特別に公開され、箏の演奏などの催しが開かれます。

花の少ない季節には、建物と池と木々の形が、いちばんよく見えるのかもしれません。

  • 一年の主な催し(2026年):お正月の鶴翔閣公開(1月1日〜3日)、観梅会(2月7日〜3月3日)、桜ライトアップ(3月27日〜4月5日、21時まで)、早朝観蓮会(7月25日〜8月9日の土日、朝7時開園)、観月会(9月25日〜29日)、菊花展(10月31日〜11月23日)、紅葉の遊歩道開放(11月20日〜12月13日)。日程は年ごとに変わります。
  • 混み合う季節:梅・桜・紅葉のころは駐車場が混むため、三溪園はバスなどの公共交通をすすめています。

開園時間・入園料・アクセスHours & Access

  • 開園時間:9:00〜17:00(入園は16:30まで)。休園日は12月26日〜31日。催しの日は時間が変わることがあります。
  • 入園料:大人(高校生以上)900円、小・中学生200円。横浜市内在住の65歳以上は700円です。
  • 横浜駅東口から:市営バス8・168系統で約40分、「三溪園入口」下車、徒歩5分。
  • 桜木町駅から:市営バス8系統で約28分、「三溪園入口」下車、徒歩5分。
  • 根岸駅から:市営バス58・101系統で約10分、「本牧」下車、徒歩10分。
  • 中華街から(土日祝):「ぶらり三溪園BUS」が「中華街入口」に停まります。「三溪園」で降りれば、門はすぐです。横浜駅東口から約36分、桜木町駅から約26分。

バスの路線と時刻は変わることがあります。お出かけの前に、横浜市交通局のサイトでお確かめください。

Our Suggestion

朝の庭から、灯りのともる街へ。

開園の9時に門をくぐり、まだ人の少ない池のほとりを歩く。三重塔を見上げてから、内苑の臨春閣と聴秋閣へ。茶店で一息ついたら、もう一度、外苑をゆっくりと。

帰りは本牧の町を少し歩き、八聖殿で、海の時代の道具に触れてみてください。バスで街へ戻れば、中華街に灯りがともりはじめるころです。

夏なら、早朝観蓮会の朝7時に。秋なら、聴秋閣の前で、少しだけ長く立ち止まって。

※歩き方は実行委員会からのご提案です。八聖殿郷土資料館は、市営バス「本牧市民公園前」から徒歩5分。開館は9:30〜16:00、第3水曜(祝日の場合は翌日)と年末年始は休館です。

撞くPlay

本牧には、ガイドに載せているビリヤード場はありません。バスで桜木町や中華街の方へ戻り、関内・伊勢佐木町へ。夜は、ビリヤード場の集まる街で。

食べる・飲むEat & Drink

街の歴史とともにある店(掲載料はいただいていません)

待春軒(三溪園内)

原三溪が考案したといわれる「三溪そば」を、園内の茶店でいただけます。

三溪園 公式サイト
ゴールデンカップ

1964年に生まれた、本牧のクラブ。ザ・ゴールデン・カップスが専属バンドとして演奏した店で、いまもライブの夜があります。

公式サイト

暮らすLive

公式パートナー 住まいエージェント「ヴィンテージマンション特集」

三溪園と同じ本牧三之谷の丘に、1989年に建てられた14戸の静かな住まいがあります。旅で歩いた街に、暮らすという選択も。公式パートナーの住まいエージェントが、この街のヴィンテージマンションを紹介しています。

モアアペックス本牧 ヴィンテージマンション特集

泊まるStay

本牧は、中華街・元町や関内からバスで向かう場所です。横浜市観光協会の公式サイトでは、エリアを絞って宿を探せます。

となりのエリアNearby

出典(確認日:2026年10月4日)

所要時間・料金・営業時間などは変わることがあります。お出かけの前に、各公式サイトでお確かめください。