何かが、違う気がした。
上司の言葉が、腑に落ちなかった。
会議室で、黙って頷いた。
帰り道、ため息をついた。
間違っているのは、自分なのだろうか。
学生でも、社会人でも、誰かの親になっても。
自分の思いと、目の前の現実が噛み合わない瞬間がある。
正解がない世の中で、自分の考えが正しいかどうかなんて、誰にもわからない。
それでも、決断しなければならない。
それでも、動かなければならない。
そんな夜が、誰にでもあるはずだ。
信念を、掲げられているだろうか
みんな、何かに妥協しながら生きている。
それは責めているわけじゃない。
妥協することが、大人の知恵だという人もいる。
角を立てずに生きることを、賢さと呼ぶこともある。
でも、ふとした瞬間に思う。
自分は今、何のために動いているのか。
この選択は、自分の信念と繋がっているか。
その問いを、持ち続けられているだろうか。
父が、言っていた
生きるために、相手の靴を舐めることも必死。
相手に唾を吐くことだって、必死。
どうせ必死に生きるなら、自分の信念を貫きたい——と。
どちらも、必死なんだ。
どちらも、生きることの形なんだ。
ならば、どうせなら。
自分は、何を守るために必死でいたいだろう。
何を失いたくなくて、今日を生きているのだろう。
間違っているかもしれない
信念を持って動いても、結果が出るとは限らない。
正しいと思ってやったことが、間違っていることもある。
それでいい、と思う。
間違いながら進んでいる人は、少なくとも動いている。
自分の軸を持って、動いている。
正解を待ち続けるより、間違いながらでも進む姿に、私は必死さを感じる。
テーブルの前に立つ時、言い訳ができない。
このショットを選んだのは、自分だ。
外れたのも、自分の判断だ。
入れたのも、自分の一球だ。
言い訳のない時間が、たまに必要だと思う。
自分の信念を、自分の一球に込める時間が。
必死に、生きていますか。




